子供の「ねー見て!ねー見て!」攻撃には深い心理があった

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子どもが成長したなぁと実感する瞬間はどんなときでしょうか。つかまり立ちしたとき、手づかみでご飯を食べたとき、パジャマを自分で着れたとき……。そんな時の子どもの「見ててね!」にどう対応していますか?現役教師で 『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者・松尾英明さんいわく、この「見てて!」には様々な欲求が込められているといいます。 

子どもの「見ててね!」考察

子どもが、親、または教師に対して「見て!」または「見ててね!」と言う。すごくよくあることである。

学校だと、体育や音楽など技能が上達した時などに特によく言う。

家庭だと、もっと些細なことでも言う。

自分のお気に入りのおもちゃを見て欲しい時などにも言う。

ちょっと指をけがした時などにも言う。

忙しい時だったりあまり頻度が多かったりすると、つい対応が適当になってしまいがちである。
しかし、子どもにとって、この「見て!」「見ててね!」は、ものすごく大切なことである。

一つは、承認の欲求である。
できていることやがんばったことを認めて欲しい、褒めて欲しい。「よくがんばったね。」「えらい、えらい。」「すごい!」というような言葉である。

または、心配して欲しい時にも使う。

けがしていたら「痛かったね」と共感して欲しかったり、「よく泣かなかったね。」と我慢を認めてもらいたかったりする。

もう一つは、安全の欲求である。
信頼できる大人が見てくれているといのは、子どもにとって何より心強いことである。

例えば器械運動で、もう完璧にできる技なのに、先生が見ていないと怖いのでやらないということもある。(実際は補助もしないので、横に立っているだけである。)

大人の側からすれば、見てと言われたので見ているだけである。しかし、子どもからすれば、結構な重大事である。

また「見て!」と言われたということは、逆に言えば子どもにある意味認められているともいえる。それは結構な有難いことだと思う。

子どもが「見て!」と言ってきた時には「来たな」と思って、可能な限り温かい目で見てあげるようにしたい。

image by:Shutterstock

 

「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術
著者/松尾英明
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