メルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』の著者・高橋さんのもとに、NYのホイットニー美術館から招待ハガキが届いたそうですが、そのハガキの文字のあまりの汚さに「文字を綺麗に書く」という日本人の習慣は素晴らしいものだと感じたとか。NYで長年過ごす高橋さんだからこそ気づいた、日本の文字、日本語の美しさについて力説しています。
NYにいるからこそ感じる日本語の持つ美しさ
先日、NYはホイットニー美術館より招待ハガキが届きました。
この街は美術館だらけ。 新聞社である我が社に、それぞれの美術館から、 記事として取り上げて欲しい、季節ごとのエキシビジョン招待ポストカードが届くことは珍しいことではありません。
ただ、問題は担当者の走り書きが異常なくらい(読めないくらい)汚かったこと。
あの!世界の!ホイットニー美術館がだよ!(日本だと絶対考えられない)
文字通りミミズの這ったような文字で、と書くとミミズに失礼なくらい、読解不可能。 編集の社員が誰も読めない。 しょうがないので、こっち生まれのインターンに読んでもらうと、彼女はスラスラ読めました。
「文字をキレイに書く」という概念がない国に生まれると、字が汚くなるだけでなく、それを読解する能力にも長けてくるのだな、と妙な感心をしました。
「 日本には字をキレイに書くって習慣があるのよね?」と、ちょっと半笑いのような感じでアメリカ人に聞かれたことが僕は何度かあります。 それくらい、文字を「伝達する為の道具」としか思っていない彼らには驚くべきことなのだと思います (だって、次の質問はたいがい、「でも何の為に?」だもんな)。
そりゃ格式ある美術館の広報スタッフもミミズ文字だわ。 しゃあないわ。
僕たちの世代は、学生時代のやれ「交換日記」だの、やれ「ラブレター」だの、すべて当時はまだ手書きでした。
なので、同級生の(特に女子)はもれなくみんな字がキレイだったと思います。
今はどうなんだろう。 。 。
パソコン時代の今、“清書率”というか、“キレイな文字率”は当然、かなり下がっていると想像します。
非常にありきたりな話をするけれど、特に日本以外の国で15年以上暮らす僕は、日本語の持つビジュアル的な美しさに、特に最近目を奪われます。
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