「甘えさせる」と「甘やかす」、子育てにおいて大変難しいその線引きですが…。現役小学校教諭の松尾英明さんが配信する無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』に、両者を見分けるひとつの指標が記されています。
「甘えさせる」と「甘やかす」の見極め
ごく単純化して言うと、「甘えさせる」は子どもの成長を促し、「甘やかす」は子どもの成長を阻害する。
具体的にどういう行為がそれぞれに当てはまるのか。線引きが難しいとはよく言われるが、ひとつ指標になる見分け方がある。それは、「自力でできることか」という一点。
例えば小学1年生の子どもに「食事を作る」ということは負担が大きい。よって、一般に親が子どもに食事を作ってあげることは「甘やかす」ことにはならない。
しかし「箸を並べる」ぐらいは子どもだってできる。もっと「水やお茶を用意する」ぐらいもできるかもしれない。それら普通にできることをすべてやってあげ続けると「甘やかす」につながってくる可能性が出る。
無論、小学1年生の子どもに食事を作らせることも、できなくはない。時にやらせてもいいし、場合によっては毎朝準備することもあり得る。それは家庭の事情や教育方針によるものであり、一概にいえない点でもある。
全部やってあげるにしてもやらせるにしても、そこに意図があればよい。無意図にやってあげ続けているなら、見直すべき点があるということである。
ちなみにこの見分け方は万能ではなく、「できるけれども手伝ってあげたほうがよい」という場合もある。しかし、ひとつの指標にはなる。
以前「我が子を抱きしめる」ということは大事な「甘えさせる」行為であるということを書いた。
「抱きしめる」という行為は、どうがんばっても子どもが自分でできないのである。「話を聞いてあげる」「一緒に遊ぶ」も同様である。親ならではのことはもちろん、担任ならではのできることもある。
この考え方は、学級経営にも応用できる。それは、子どもにとって自力でできることかどうか。できることに無用な手出しをしていないか。逆に、自力ではできないことを、放置していないか。よりうまくできるように導けるチャンスと見たとき、手出しをすべきか控えるべきか(夏休みの自由研究・工作などは、ここが悩みどころである)。
選択の連続である子育てにおいて、ひとつ指標となる考え方になるのではないかと思い、提案してみた。
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