「いい人だと思っていたのに、がっかりした、裏切られた」…。そんな経験をされたことがある方、多いかと思います。やはり人を見抜くのは難しいことなのでしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、「人の本性はすべて顔に現れる」とする、京都大学第16代総長も務めた平澤興氏の講話を紹介しています。
「顔は心の窓」──顔を見ればその人がわかる 平澤興
いつも申します通り、身体の中ではだかになっておるのは顔だけであります。化粧をしましても、塗るだけでありますから、それは目の慣れない人から見ればひととおり綺麗でありますが、化粧の美は本当の美ではありません。
慣れた目から見ますというと、化粧も遠くに飾っておれば結構ですけれど、話をして、一度か二度笑わせてみれば、その人のもとの顔が出るのであります。ごまかすことはできません。
一度笑わせたあとに、一番もとの顔になります。鬼のような顔は上手に笑っても、きれいな顔が笑っても、笑ったあとの瞬間の表情を、顔を見れば瞬間であります。
もとの顔であります。これはおそろしいものであります。ですから私、いつも申します通り、ごく大事な人事には書いた履歴書はとりません。人からも聞きません。人から聞いても、その人の言うことはあてになりません。書いたものもあてになりません。
なぜなら、昔はちょっと面白くなくて罪を受けた、罰を受けたという人でも、それを通り越して、乗り越えて、さらに立派な人になっておるんなら、昔のことを責めることはないと思うのであります。私はそう思います。むしろ昔間違いをおかして今日は普通の人より偉くなっておるという、その人の努力はたいしたもんであります。
私は大学におります時も、重要な人事は決して人に聞きません。人に聞きますというと、本当にいい人が悪口を言われる場合があります。書いたものを見ても、なんだか途中に妙なところがあります。そんなものに気をとられますと、適切な人事はできません。
まず、真っ先に会う。会ってしばらく話をしておりますと、これはもう、誰がどう言っても確かであります。
まあ決してということが言えるかどうか、私の経験の範囲内では、私は幸い「決して」という思い間違いをしたことはありませんでした。これはいい人だと思ったのに、あとから「なんと」ということは、一度もありません。
しかしまあ、私は幸運であったと思います。だから、決してとはよう言いませんけれども、まず間違いはないのであります。
顔ははだかであります。顔は心の窓であります。心がちゃんと顔に出ておりますから、自信とかそんなものとは違います。
image by: Shutterstock.com