没落の中国。天皇まで利用し平成をしゃぶり尽くした国が滅びる日

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平成元年の天安門事件で世界の信用を失ったものの、その後驚異的な成長力でGDP世界第2位にまで上り詰めた中国。しかしそのきっかけとなったのが、1992年の「天皇訪中」であったことはあまり知られていません。台湾出身の評論家・黄文雄さんはメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』の中で、天皇訪中を懇願しつつ一方で国をまとめるために反日教育を施した中国を批判するとともに、令和の時代に中国が滅びゆく証拠を明らかにしています。

※ 本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2019年4月30日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

【日本】平成とともに隆盛し、平成とともに終わる中国

平成は1989年1月7日から始まりましたが、この年の6月4日、中国で天安門事件が起こりました。この事件で民主活動を弾圧し、学生を含め多くの人民を殺した中国は、欧米諸国から厳しい非難を浴び、経済制裁や政府高官訪問禁止などの措置を受けました。

西側諸国からの制裁により国際社会で孤立した中国は、悪化したイメージを回復させるために、天皇の訪中を繰り返し要請、そしてついに平成4(1992)年10月、宮沢喜一内閣時に天皇陛下の中国ご訪問が実現します。

この天皇訪中をきっかけに、西側諸国による中国への制裁は次第に解除されていきます。それほど日本の天皇が中国をご訪問されたということは、世界的に見て大きなことだったわけです。

実際、外相だった銭其シンはその回想録のなかで、天皇訪中は「西側の制裁を打ち破る最も適切な突破口になった」と書いています。つまり天皇訪中を中国は最大限に利用したわけです。

この天皇訪中の年から中国経済は急回復し、1995年まで二桁成長が続きました。中国の思惑は完全に的中したわけです。制裁を解除した西側諸国は、一転して中国の改革開放政策に傾斜し、どんどん中国への投資を増やしていきました。こうして中国は急速に経済発展していったわけです。

そして天皇訪中からわずか20年足らず、2010年のGDPで中国は日本を抜き世界2位にまで上りつめたのです。言うなれば、天皇の訪中がなければ中国がここまで経済発展することはできなかったあるいはもっと遅れていたはずです。

中国は日本に大きな恩があるはずですが、国際社会における存在感が増すと同時に、次第に日本を敵視するようになっていきました。天安門事件での民心離れを修復するために、江沢民政権では反日教育が施され、日本を中国人民共通の敵とすることで国をまとめようとしたからです。

片方で伏して日本の天皇の訪中を懇願しながら、片方で日本を貶めるという、中国らしいやり方ですが、あまりに反日教育をやりすぎたために、その反動も大きいものになりました。

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