相次いだビッグネームの引退。美しく尊敬できる引き際を考えた件

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2019年1月は、吉田沙保里さん、中澤佑二さん、楢崎正剛さん、稀勢の里関と名立たるアスリートの引退が話題をさらいました。ボロボロになるまでやり尽くした人の方が美しく感じ尊敬できると、「引退」について考察するのは、メルマガ『8人ばなし』の著者・山崎勝義さんです。最年少記録より最年長記録を愛で、讃える社会になってほしいという山崎さんの意見を、皆さんはどのようにお聞きになりますか?

執着のこと

スポーツや芸能など、所謂定年のない世界においては自らで決める引退こそがその人のキャリアの終わりを意味する。自分で自分の限界を見極め、自分で自分の最後を決めることの難しさは凡そ素人の考え及ぶところではあるまい。

例えば、スポーツ選手なら勝てなくなるというのがそのきっかけとなり得るであろう。芸能人だと売れなくなるというのがそれに当たるであろう。こういった状況を逆に言えば、世に必要とされる限りはどんなにみっともなくても現役であり続けるということである。特に芸能人に関しては自称する限りは死ぬまで現役でいられる訳だから既に覚悟の問題と言っていいのかもしれない。

その一方で、別の道を辿る人もいる。キャリアの絶頂にある時に惜しまれつつ引退するというパターンである。この種の人の心理はなかなかに読みづらい。経済的不安がなくなったとか、この先落ちて行くのが嫌だとか、それっぽい理由を一通り想像することはできるにはできるが、一応はその世界の頂点を極めた人である。そう単純にくくることはできまい。

ただ、こんなふうには言えるのではないかという理由が一つある。それは、落ちぶれ方が分からないのではないかということである。言い方を換えれば、これまで常に上昇し続けそして今絶頂にあって、今後落ちぶれて行く自分が全く想像できないのではないだろうか。こういう人はその世界から一旦離れて、心理的に落ち着いて来ると現役復帰ということが多いような気がする。当然と言えば当然である。何せ、まだまだ十分「やれる」のだから。

個人的な意見になってしまうが、自分としてはどういう訳か前者、即ち現役であり続けようとする人の方が尊敬できるようなのである。それはたぶん、一見惨めに見えるようなその執着にどこか美しさを感じてしまうからであろう。

例えば、何かのスポーツで国際A級のリーグで活躍していた人が、いつの間にかそこでは通用しなくなり、国際B級、C級と落ち行き、やがては国内、終には後進国まで落ち延びて猶、現役にこだわっている。こんなのがかっこよく思えて仕方がないのである。

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