京都には天使突抜(てんしつきぬけ)通りという面白い地名があるのをご存知ですか? それは五條天神宮という神社がかつて「天使の宮」と呼ばれていたことに由来するそうです。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者の英 学(はなぶさ がく)さんが、秀吉の時代から現在にまで続く地名をひも解き、京都観光にも役立つその歴史をご紹介します。
天使突抜通りの由来
五條天神宮は794年桓武天皇の平安遷都にあたり空海が大和国から天神(あまつかみ)を勧請したのが始まりとされています。
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
を祭神としています。創建当初は天使の宮といわれていたそうです。その後、後鳥羽天皇の時代に五條天神宮に改名されたそうです。場所は幕末の蛤御門の変以降は現在の四条烏丸から南西に少し歩いたあたりにあります。
五條天神宮はその昔牛若丸と弁慶が出会った神社ということになっています。現在の境内は狭くなっていますが昔は広かったようです。
秀吉の時代、都市開発により境内を南北に貫く通りが造られました。京都改造によってできた地名は天使突抜と呼ばれました。五條天神宮の境内を南北に貫く通りを造ったのです。秀吉は天下を統一すると京都を改造しました。
秀吉が造営した新しい通りは天使の宮の境内を突き抜けていたことから天使突抜通(てんしつきぬけとおり)と呼ばれるようになりました。現在も五條天神宮の南に天使突抜という地名が残っています。今は秀吉の時代よりも寺域が狭くなっているので天使突抜通は境内を貫いていません。とは言え社殿や通りの名前に由来した地名が残っているのはありがたいことです。京都市内の中心部なので是非ふらりと探して行って確かめてみて下さいね。
祭神の少彦名命が医薬神だったことから五条天神宮は医薬の神として広く崇敬されました。また毎年節分には宝船が授与されます。この宝船の古図は日本最古のものといわれています。船に稲穂を一束乗せただけのびっくりするくらい簡素なものですがとてもご利益はあります。節分の日に授与されるので是非行ってみて下さい。
image by: 京都フリー写真素材集