「3.11は復興」という誤解。現役教師が見た、南相馬の過酷な現状

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 東日本大震災から6年の月日が流れましたが、本格復興はまだ先のようです。大きな被害を受けた福島県南相馬市で「被災地に学ぶ会」のボランティア活動に参加したという無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役小学校教諭の松尾英明さんが、現地で目にした「被災地の真の姿」を伝えています。

被災地に学んだこと

日曜日、「被災地に学ぶ会」に参加させてもらってきた。「学んだことを広げる」という使命により、学ばせていただいた内容を一部シェアする。

今回の場所は福島県南相馬市である。前回参加の時と同じく、避難勧告が解除されて帰ってきた方の、個人宅の竹の伐採と敷地整理。黙祷をした後、チェーンソーを使って、竹をどんどん切っていく。チェーンソーも注意だが竹自身も鋭利なため、手袋をして手を切らないように注意しながら作業を進めていく。

竹はしぶとい。切った後の切り株部分も鋭い上に抜けない。農家の知人の方が「竹は放っておくと厄介だから、タケノコどんどん獲ってって」と言っていたのがよくわかる。

逆に考えると、竹の生命力があれば、どんな状況からでも復活できる。竹は、ぐんぐん伸びる。切っても切っても、見えない地下でしっかりと根を張っている。切りながら大変だと思う一方、生命の力強さも感じる。

そして、この竹林整理は、一日十数人の人手ではとても処理しきれない。よってボランティア活動は、リレー形式になる。一つの場に対しても、前の団体が切った竹を、次の団体が処理する。次の人が運びやすいように、紐で縛る。最終処理しやすいように、竹の長さを揃えて整えておいておく。リレーなのである。

以前宮城県で行った、海岸での遺品発掘作業も同様。他団体とのリレーで、1か所ずつ潰していく。「ここは掘り終わった」という場所を増やしていく。気が遠くなるほど少しずつしか進まない作業だが、人手と時間さえあればいつか辿り着く

正直、やり始める時は、「こんなにあるの!?」とちょっとがっくりくる。一個人のお宅でこの量があるのに、ボランティア待ちのお宅がまだまだ山ほど控えているのである(そして、「復興したという誤解によって年々ボランティアは減り続け現地は常に人手不足である)。しかし、やり進める内に、竹が積み上がり、きれいになっていくのを見ると、達成感がある。仲間内の連帯感も生まれる。

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