「仙台四郎」に見るノーマライゼーション社会実現に向けての示唆

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障がい者支援を始めさまざまな福祉活動に関わるジャーナリストの引地達也さんが、出身地仙台で子どもの頃から接していた「人神」である「仙台四郎」について、自身のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』で紹介してくれました。実在した「仙台四郎」と商店街の人たちとの繋がりは、ノーマライゼーション社会の実現に向けての示唆があると、いつも肖像画を見ていた菓子店の思い出とともに綴っています。

仙台四郎になったお菓子屋のおばさんの思い出

私の実家は仙台市営地下鉄の仙台駅から南に2駅目の愛宕橋駅近くで、40年前となる私の幼いころは市電の停留所があり、通りには瀬戸物屋、本屋、子供の乗り物屋、漬物屋、こんにゃく屋、お茶屋や竹細工屋が並び、ちょっとした賑わいがあった。 次々と商店街が店をたたんでいく中で最後まで頑張っていたのが、おばさん1人で切り盛りしていたお菓子屋で、それは実家の前にあったから、私の日常的な場所でもあった。木造の建屋が印象的だが、お店には屋号も看板もないから、近所ではおばさんの名前からその店を「Hさん」と呼んだ。

店内は博物館に展示されるほどの年代物の木製のショウケースに毎朝仕入られるアンパンやジャムパンが並び、私のお気に入りは20円の白あんと黒あんの二種類のあげまんじゅうと色とりどりの1個5円のあめ。 それら商品の中央に鎮座していたのは「仙台四郎」の肖像写真だ。子供のころの私はお店に行く度に、その微笑みかけるおじさんをちらりと見て何者かが分からずにいたが、それが仙台の「人神」だと分かるのは随分と後のことである。

仙台四郎は江戸末期から明治期に仙台市内を徘徊していた知的障がい者とされ、いつもにこにこしていて仙台の商店を訪れ、店先にほうきが立てかけてあれば勝手にそうじをし、その店は繁盛するなど、彼が立ち寄る店には福がもたらされるという噂から「人神化」が始まった。 仙台では大正時代からブームとなったが、メディア時代に入ってのブームは1986年で、近年になってからは地域の活性化とメディア効果もあり、肖像写真に限らず、人形や小物などの関連商品も販売され、仙台土産としての地位も築いている。

仙台の街を歩けば、店先のオブジェやポスター、多種多様なグッズなど必ず仙台四郎に出会うことになる。この仙台四郎のグッズは、先ほどの微笑む肖像画がモデルになっているから、すべて「微笑んでいる」ので、雰囲気を柔らかくするし、温かい気持ちにさせてくれる。やはり今も「福の神」としては、いや益々効果は大きい。

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