見聞を広めるために読書しようと決意しても、数多ある書籍の中からどの本を選べばいいのか迷ってしまう…、そんな経験をお持ちの方も少なくないと思われます。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では現役教師の松尾英明さんが、「読むべき本の選び方」をレクチャーしてくださっています。
本の選び方は「観」にあり
夏休み中、気合いを入れてたくさん本を読んでいる人もいるかと思う。「どんな本を読んだらいいのか」という問いをよく頂くのでそこに答える。
結論から述べると、取捨選択。取るために捨てることが大切である。
本を読むという行為は、心と頭という「無形のもの」への投資である。投資ということは、資本として差し出すものがある。何を差し出すか。お金もそうだが、これは微々たるものである。最たるものは、時間である。
どんな本からでも学べることはある。これは間違いない。一方で、これはあまり必要でない、つまらないと判断したら、それ以上読まずに捨てる(売る)という選択肢もある。もっといいのは、買う前にその判断をすること。ネット上でもいいのだが、ここに関しては本物の書店の方がよい。
時間という有限の資源を投資するのだから、よく選ぶ。これが何よりも大切な最初のステップである。
メルマガの特質上、教育に関する本に限定して述べる。
これは「観」が磨かれるものを選ぶ。ここに尽きる。
これは「こうすると子どもをこう動かせる」という類のものとは対極である。観を磨くとは、自分の心をどう動かすか、ということだからである。子どもを含む他人というのは、物理的にも心理的にも支配すべき対象ではない。まず統御すべきは、自分の心である。
子ども観が磨かれるもの。教師観が磨かれるもの。そして人間観や人生観が磨かれるもの。これらを選ぶ。
教育書を読むのなら、その「観」が書かれているものを選ぶ。
例えば、「こういう時には○○と言えばうまく動く」と書いてあるとする。
これだけの本は、一時的には効果が出るが、長期的には役に立たないどころかマイナスである。なぜそうするのか、どういう成長への願いがあるのかがわからないからである。マズローの有名な言葉「ハンマーを持つ人には、すべてが釘に見える」のような状態になる。なまじっか上手くいってしまった経験が一度でもできると、その方法に固執して、問題の本質が見えなくなる。
そうではなくて、なぜそうするのかが書かれているものを選ぶ。例を挙げると、拙著からで気が引けるが『お年頃の高学年に効く!こんな時とっさ!のうまい対応』の中に「高学年女子へは、同僚の女性に接するように」と書いてある。その理由は、高学年女子が急激に大人へと変化している時期であり、甘えたいと同時に一人前に見られたい時期だからである。
「基本の接し方を、丁寧にすること」とも書いてある。自分に対して、真剣に話を聞いて、丁寧に対応してくれる人に、悪意は抱きにくいものである。人として「なめてる」のが良くない対応なのである。高学年女子で苦労するポイントの肝がここなのである。大切なのは、子どもとして尊重することに加えて、人としての尊重である。
基本の観がわかると、汎用性が出る。先の例だと「なぜ丁寧に対応していくべきなのか」というのがわかると、他のあらゆる対応が変わる。臨機応変が効くのは、観がしっかりしているからである。
読むのは、教育書でなくともよい。観を磨くには文学作品も役立つ。夏目漱石の「坊ちゃん」を読んで、自分はあの学校のどの教師に近いか、なぜそういう行動をとるのか感じるのも意味がある。
ハウツーではなく、じっくり観を磨く本を読む。これだけが夏の選書のポイントである。
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