連日メディアを騒がせている、日本ボクシング連盟の内紛劇。やはり過日大きく報じられた日本レスリング協会のパワハラ騒動等、なぜこのような国内スポーツ運営団体を巡る問題が頻発するのでしょうか。「大事なのは、それぞれのスポーツ組織が現場・現役を中心に据えるという原点に還ること」とするのは、アメリカ在住の作家でスポーツ全般に造詣の深い冷泉彰彦さん。冷泉さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、その原点を忘れたとしか思えない各スポーツ団体の「愚行」を挙げつつ、「運営団体・スタッフは黒子に徹するべき」と提言しています。
スポーツ組織の改革は、現場へのリスペクトから
日本大学アメフト部における「違法タックル強要」などの問題に続いて、今度はアマチュアボクシングにおける連盟ぐるみの疑惑が問題になっています。また、その前には、女子レスリングにおけるパワハラの問題もあり、多くのスポーツ組織で運営スタッフのあり方が問われる事態になっています。
その多くの場合は、典型的なパワハラ体質のストーリーばかりで、イヤな気持ちになるわけです。つまりリーダーにふさわしい人物ではなく、リーダーになって権力を行使したがる人物、もっと言えば「他人に奉仕する強さ」ではなく、「他人に奉仕して欲しい弱さ」を抱えた人物が「上に行ってしまう」仕組みに問題があるわけです。
ただ、そういう言い方をしてしまうと、あくまでリーダーの選考をどうするとか、あるいは組織の監視がどうといった話に流れてしまい、下手をすると対策が組織の肥大化になってしまう危険を感じます。
それよりも大事なのは、それぞれのスポーツ組織が「現場・現役」を中心に据えるという、いわば原点に還ることです。この点で考えると、現在のそれぞれのスポーツ組織には不自然なことが多いように思います。
ちょうど甲子園では高校野球が行われていますが、今回は100回の記念大会ということで、松井秀喜氏の登場があったりしたようですが、その他にも高野連であるとか、政府関係者、新聞社代表などがスピーチをしたり、その間に「水分補給の時間」を設けて炎天下で行うなど、妙なことになっています。
こうしたセレモニーは、野球とは何の関係もない、形式的で形骸化した儀式であり、そこで戦前のように型にはめた「入場行進」をさせたり、とにかく主催者側が偉くて、選手や現場は「格下」の存在として従順に従うだけというわけです。